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カレー・タイム・ブルース
結構な長生きをしてますと、同世代の知人と何気なく“ついこの前”の事のように交わす雑談が、軽く二十年から三十年前もの、とんだ昔の話題だったりしてばかりです。

ちょうどつい二十年くらい前のこと、既に人生の落ちこぼれ生活を歩んでいた私ですが、当時私は板橋区のときわ台というところの、東武東上線の線路際のボロ屋敷で生息しておりました。
隣駅の上板橋に棲む先輩の漫画家浪人(以前お話しした雑巾タオル氏)が単行本描き下ろしの仕事を引き受け、定職もなくほとんど風来坊生活だった暇人の私は、彼のアシスタントを引き受け、自室から歩いて通っていたのでした。

その当時、私は件の雑巾タオルの紹介で、彼と共にヤングJ誌で連載を持つ先生のアシスタントを、たまにやらせてもらっていました。
アシスタントとしての技量が碌にない私は、最後の仕上げの時にしか呼ばれず、生活維持はできないくらいの小遣い銭程度の収入でしたが。

その先生の下で連載当初より勤めていたという先輩アシスタント男性がおりまして、その人は自称料理上手。
ある日、彼は前日から制作に及んだ自慢の手作りカレーを鍋ごと冷凍させて、それをオートバイの後部座席に括りつけ、原稿に追われる同僚の雑巾タオル宅まで、遥か小金井市より差し入れにやって来たのです。

雑巾タオル先輩は、タオルが雑巾と化してもそのままタオルに使う程の屈強な精神力を持った御仁ですから、その住まいは言わずもがな驚異的ゴミ溜め屋敷。彼の木造風呂なしアパート2DKのゴミ屋敷にて、原稿制作作業の合間に、その夜は野郎三人でささやかなカレーパーティーと洒落込んだのであります。

もちろん彼自慢のこだわりカレーはとても美味しく、男所帯の殺伐としたゴミ屋敷では暫し和やかな歓談が繰り広げられました。
傍らで飛び交うハエたちの動きも心持ちリズミカルです。


そして後日。自慢のカレーを差し入れに来ては颯爽と愛車のアメリカンバイクで去って行った彼の姿に少なからず憧れを抱いてしまった私は、負けじと今度は私が、仕事中に手料理を振る舞うことを、雑巾先輩に宣言したのです。

テーマは『肉じゃが』!
彼のゴミ屋敷に向かう行きがけに食材を買い込み、雑巾屋敷の地獄図の様な台所を拝借し、原稿の手伝いは後回しに、私は料理の腕を揮って、特製肉じゃがの制作に及んだのでありました。

ゲストは先日のカレー職人氏。
今回は私の特製肉じゃがを囲んで、男同士楽しく談笑……の、つもりでいたのですが…。


私の手料理を一口頬張るや、彼等の表情が俄かに曇り出しました。
「な、何これ!?」「何入れたの!?」

楽しい筈の食卓に不穏な空気が流れ、ゴミ屋敷内には暗雲が立籠め、私は一気に窮地に陥ってしまいました。

私の秘伝隠し味は、どうやら全然隠れてはいなかった様で、「駄目駄目、肉じゃがに粉チーズなんか入れちゃ!」だの、「和食の基本は味醂だよ味醂!味醂も知らないの!?」だの先輩諸氏から懇々と説教を受け、当然誰も箸が進まず、仕舞いにはまるで通夜の席のように座がシンミリしてしまい、それは消沈した夕食のひと時となってしまいました。
傍らのハエたちも我々の気不味い気配を察したのか、生ゴミの片隅でしょんぼりと羽を休めています。
まだ年端も行かぬ子バエが何もわからず静寂を破ってブ~ンと飛び出したら、慌てて親バエが「シッ」と子バエを引き戻し、小声で窘めながら生ゴミの奥にそそくさと隠れて行きました。

私の手料理は山盛りのまま置き去りにされ、その晩のメインディッシュは近所の肉屋で買って来たコロッケだったということで、その場に居合わせた人々の記憶から私の特製肉じゃがは永遠に封印されたのでありました。


あの時に私が得た教訓は、『美味しい料理は場を和やかにするが、不味い料理は場を破壊する』であります。

以来、私は肉じゃがを制作した事はなく、人様に手料理を振る舞った事は一度たりともありません。
そんな私ですが、自らの食生活のためには日々料理の腕を揮います。
と申しても、肉や野菜を炒めたり魚を焼いたり蕎麦やパスタを茹でたり…と、料理ではなくただの加熱だけと言えましょうが。

唯一の例外としては、たまにカレーを作るくらいでしょうか。
昨夜は久々に、玉葱を炒めて炒めて飴色になるまで炒めて、大鍋に移し、炒めた牛肉に人参,レンジで柔らかくしたじゃが芋と加え、自家製カレー作りに勤しんだのであります。


ガメラカレー.jpg

写真だと、なんかマズそーだね、やっぱり…。

もちろん、私のこの特製カレーは、これまで私自身しか食したことはありません。
ちゃんと、美味しかったですよ、私には充分。

原稿に精一杯な生活に突入して外出や食事もままならない時には、カレーを作っておくのが一番!と、スーパーに食材を買いに行き、カレー作りに勤しみ、お腹を満たしたら、カレー騒動ですっかり疲れ果て、原稿は進められずグッスリ爆睡…のお間抜けコースも、私には最早定番です。


年に何度かですが、カレーを作る度に、私はあのカレー作りが得意だったアシスタント仲間の彼のことを思い出してしまいます。
私が、男で料理自慢の輩を信用せず、どうも好きになれないのは、どうやら二十年昔のあの苦い一件以来のことのようであります。
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複合機回復!
今や私にとって仕事の相方とも言える、複合機。
コピー機,スキャナー,ファクシミリにプリンターと、現在の私の仕事の状況でオマンマ代を稼ぎ出すには、なくてはならぬ代物であります。

この機種を導入してから、かれこれ5年になりますが、昨年辺りから徐々に調子が悪くなってきてました。

精密機械ですから、当然経年劣化の症状で、紙詰まりやコピー状態不良に悩まされていたのです。
とっとと修理依頼をすれば良いものを、購入時にケチ臭くメンテナンスの保守契約をしていませんでしたので、いざ不調になってしまったら、その安くはない修理料金に怯えていたのでありました。

仕事の為だか何か知りませんが、機械の修理代金があれば、スナックにでも通ってホステスの尻と脚を眺める方が、価値ある金銭の有効利用だと考えるのは、健全な男性として当然な思想でありましょう。

そんな訳で、複合機修理代金は、あすみちゃんやちあきちゃんの熟れた脚や臀部の拝観料として徴収され、幸せな泥酔生活は続き、私の複合機はいつまで経っても動作不良のままだったのでした。
しかしながら複合機の不良症状は悪化の一途を辿るも、いつまで経ってもホステスの脚は指一本触れられぬ不甲斐ない有り様です。

さしもの私も、仕事の〆切に焦っている最中、コピー1枚取るのに、紙詰まりに手古摺っている場合でもないと気が付き、製造元の修理受付に電話をして遂に出張修理を依頼したのであります。


後日サービスマンに来訪して頂き診断してもらった結果、覚悟通りとは言え事態は生易しいものではありませんでした。
案の定の経年劣化による部品交換…が、部品と言うよりも中身の機械丸々交換の重症で、見積り価格約15万円とな!

じゅ、じゅっ…15万円!!
15万円と言えば、私のしがない金銭感覚ではかなりの額です。
浮かばれぬ男の夢ながら、私は達成できなかった、憧れのデリヘル『オールナイトコース』の額であります。
しかし15万円払って、そりゃ極上の娘を経営者が寄越す訳もないでしょう。極上娘は一晩にもっと稼ぎだすんですから。
待機室の片隅に三年くらい置き去りにされていたかの、とんだ妖怪をあてがわれた日には、生涯悔やんでも悔やみきれないかと思うと、とてもとても15万円の大枚など、そう簡単にバラ撒けやしません。
90分コースが2万だから、×7で、630分…ってことは、それだって10時間だからなー。
オールナイトコースはなー。どうせ何回もねー…。15万はねぇー…。

…だからデリヘルの話題ではなしに、何でしたっけ?複合機の修理の話ね。
で、来てもらったサービスマンの薦めるままに、今から保守契約をするってことにして、そうすれば一年分のメンテナンス保障代金として、約6万円で全ての修理代が済む、と。


複合機.jpg


そんな訳で、本日無事私の複合機は新品の部品と交換され、蘇ったのであります。

当初の修理代金15万円が、6万円で済んだので、差額9万円ってことですな。

それじゃあ9万円得をした計算で、今夜はひとつ複合機完治記念と景気づけに繁華街に繰り出して、派手にパーッと…行きたいところですが、いけませんいけません!

仕事しますってばさ!
せめて2万円で90分……、呼びません呼びません!!
働きます。
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我が夏の風物詩
夏の…というものでもないでしょうが、この趣味を私が人様に明かすと、何故だか大抵は眉を顰められ、完全にキワモノ扱いを受けることが多々あり、大変に不本意であります。

全国には数多くの老若男女、この筋のマニアの皆さんが存在するというのに、たまたま私の周りに賛同者がいないという不運を憂うばかりです。


その趣味は何かと申しますと、“怖い話”です。

幽霊怪異遭遇体験談の類が、私は物心ついた時からプリンと共に大好物なのです。
ひょっとしたら前世が幽霊だったのかもしれません。

今でも、ちょうど小学生の高学年辺りの年代ではその手のブームに見舞われるのが登龍門なのでしょうか?
生憎最近の小学生とは私は懇意な付き合いはないので定かではありませんが、その年頃にはその様な超常現象的なことに惹かれる傾向は、多分に見られるかと思います。

私自身の可愛い子供時代の経験では、小学4年生頃には怪奇漫画が周辺で流行り、友人と本の貸し借りをしては読み漁ったりして、小学5~6年の頃は、映画「エクソシスト」やら、一世を風靡した(?)単行本、中岡俊哉「私は幽霊を見た」(でしたっけ?)に、つのだじろう先生の「恐怖新聞」や「亡霊学級」等で、ちょうど世のオカルトブームの到来と重なり、私も便乗に与り洗礼を受けたクチであります。
学校の休み時間や放課後には、私の幼稚園児からのライフワークでもあった女子のスカートめくりの手を休めては、心霊写真を集めた書籍を友人と取り囲んでは騒いだものです。

また、同時にその頃皆で夢中になった例の十円玉を使う「コックリさん」には、今でも何か得体の知れぬ恐怖心を覚えます。
私の小学生高学年の頃では、何故かコックリさんは“本当に怖い”から(?)…と言って、全く同じ様な「大ごんげん様」と称する十円玉を使った遊びが異常に流行りましたっけ。

世代の異なる当HP読者諸氏は、いかがでしょうか?

と、申しましても、私自身には所謂霊感だの霊能力だのは全くなく、残念ながら…と言っては良からぬことながら、過去に霊体験らしき経験も一度もないので、理屈で申しますと、だからこそ怪異談を「ファンタジー」として楽しめるのではないかと思っております。


なんて、ここまでの講釈を広げるだけで、ソッチ系がお嫌いな方は…それこそまるで『斯くして僕はス○トロプレイが好きになったんです!』とでも告白したかの反応さながら眉間に皺を寄せ身を退いて、突然この私を変態扱いしますが、そもそも、“恐怖を楽しむ”ということは、人類の歴史上でも洋の東西を問わず、異端な文化や珍しい現象では決してないことを、ご存知でありましょう。
見世物小屋の化け物然り、百物語然り幽霊絵画然り。それからそれから…えー…まーホラ、ね?
そう、恐怖を楽しむということは、高尚な文化人のみが理解できる嗜みなのです。

…と、低劣な非文化人である私がこう申しても、何の説得力もございませんが…。

また、本当の本当に、生涯忘れたくとも忘れられぬかの強烈な幽霊遭遇体験でも持ってしまった方には、私の説く戯れ言など、相手にもしたくないでしょう。
当HPデザイナーのT氏なんか、あれ程他人を脅かす恐い風貌をしておきながら、幽霊話関係は一切ダメで、こんな趣味の私を変人扱いする始末です。


しかし、これ程までに明確に好きか嫌いかが別れるものも、珍しいかもしれません。

私なんて、午前中だの昼間だの明るい時間帯に放映される恐怖特集番組なんざ、もったいないからその場では絶対に観ない。必ず録画して、夜中の1時か2時頃まで、待つ!
怪奇話DVDソフトも同じく、購入したら深夜を待つ!
もちろん一人きりの自室で、かっぱえびせんとカルピスでも用意して、草木も眠る丑三つ時に、優雅に恐怖ナイト開催!いざ心して再生開始!

揚げ句、本当ォ~に恐くなって、部屋から一歩も動けずトイレに行けなくなり、夜が明けるまで尿意を堪えることくらい、朝飯前です。


それにしてもここ最近は、そんな私の趣向を満足させてくれる怪奇特集番組が、昔に比べるとめっきり減ってしまったのは、何とも嘆かわしく感じる次第です。

ちなみに私は、その手の話が好きなだけに、好みはハッキリしておりまして、ホラー映画等映像作品は特に好きな訳ではなく、また、霊能力者だの霊媒師だの、怪異現象に「答え」を出したがる不粋な輩が出るものも興味の対象外です。
ファンタジーに答えを出されては、興醒めしますからね。
また、悪戯に心霊スポットなる場所に足を運ぶような趣も持ち合わせません。そこまで度胸はありません。
純粋に、自己表現を得意とする話上手な芸能人等の怪異実体験談話を聴くのが、私の趣味なのです。


稲川DVD.jpg


だからと言って、私が幽霊の存在を一も二もなく信じているのかと言うと、見たことがないのですから、当然信じません。疑います。疑うからこそ、それでも有り得ない不可思議な現象に魅惑を感じるのでしょうか。

昨夏、NHKのBS2で放映した、佐野史郎司会の著名人恐怖体験番組は、久々に私の好みドンピシャの秀逸なる番組でした。
奇を衒わず次々にゲストが怪異談を喋るだけ。霊能力者なる不届き者が上から目線で「答え」を出しもせず、実に心地の良い恐怖でした。無論録画に及び、数度再生に及び密かに愉しんでおります。
実に風流の極みと申せましょう?

せっかくですから、この場を借りて、恐い話を語り合える才知豊かなる友を募らせて頂きましょう。
美脚の三十路婦人でしたら、特に歓迎です。いやらしい意味など、微塵もございません。ございませんとも!

とにかく、そんな怪奇話を卓上のスピーカーやヘッドフォンに流しながら原稿描きの仕事に取り組むと、はかどる事はかどる事!

ファンキーミュージックよりも名人の落語よりも、睡魔除けには最適で、机から離れず原稿が進みます。
夏場バテ気味で食欲がない時にも、恐怖話番組でも流せば、どんぶりご飯がバクバク進みます。
多忙でお風呂に入れなくても、恐い話で全身の凝りが取れてすっきりします。
恐怖ナイトを過ごした後は眠り心地もよく、目覚めた時には朝勃ち状態も見事です。


…やはりこの際、認めましょう。
どうやら私は、変態のようです。
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我が青春のバカ回顧録
遥か遥か昔…私が、漫画界の門を叩いたのは、まだ昭和の時代、後期の頃です。

足立区は北千住、駅から徒歩30分近くの、四畳半一間の風呂なし共同トイレの驚異的ボロアパートにて前年から一人暮らしを始めたものの、自立生活のために友人の母親が経営する美容院でやらせてもらっていたアルバイトは、寝坊による遅刻と無断欠勤が度重なり遂にクビになり、私は早急に職探しをしなければなりませんでした。
当時は「日刊アルバイトニュース」に「フロムA」と言う二大職業情報誌が定番でして、たしか「アルバイトニュース」誌の最後の方のページの募集欄に、『漫画家アシスタント募集』の要項があったのです。

私は少年誌でもかねてから作品を存じていたK先生が、青年漫画のジャンルではそれから人気が上昇する、とある料理漫画の連載開始で、そのために専属アシスタントを募っていたのです。
漫画家のアシスタントと言えば当然「内弟子」…の概念を持った、最後の世代の先生だったと言えましょうか。
何も知らないその時の私は、とにかく生活費を稼がねばならぬと焦りつつも、まったく興味のない仕事はもう沢山だな…と軽い気持ちで、漫画アシスタントの仕事に少なからず進歩的な思いを馳せてしまいました。

あれからもう四半世紀以上もの時が過ぎて思い起こせば、どうやら私は、そこから人生を踏み外して(?)しまったようです。
1984年の夏のことであります。

アパートの隣の駄菓子屋に設置された公衆電話から思い切ってダイヤルしてみて、受話器に出たK先生ご本人に詳細を尋ねたところ、当然ながらイラスト審査があるとの旨で、履歴書と共に美大受験失敗の実力で描いた素人の稚拙な絵を郵送。それが幸か不幸かK先生のお眼鏡に適い、後日面接に呼ばれ、その翌月から正式にアシスタントとなり、私は漫画界に身を投じるに至ったのであります。

それなりに応募数もあった中から私が選出されたのは、何も下手な私の絵が突出していた筈もなく、カラーで描いたイラストが私だけで目立ったのと、上手くはなくとも先生好みで線が細かったから、そして履歴書の空欄にしたためてしまった『体力には自信があります』の一文が効いたとも、後日聞かされました。既に“出来上がった絵”を描くクセのあるプロ跣の人員は、そもそも求められなかったそうなのです。

それは記録的に厳しい残暑から徐々に秋の匂いへと移り行く9月初旬のことと、今でも記憶は鮮明です。
仕事場兼住居の、高島平の新築マンションの一室へと向かい、面接時から二回目の訪問が初出勤で、着替えも持たずの軽装一着のまま、まさかそれから丸一週間もの間、漫画原稿制作の目的のために軟禁状態にされるとは、思いもよりませんでした。
右も左もわからぬまま、K先生ほか先輩アシスタント2~3名のタコ部屋内に放り込まれ、食事の支度の手伝いに始まり、初めて接する「プロの漫画原稿」の、消しゴムかけや簡単なベタ塗りを、必死になって取り組んだのを覚えています。

食事こそ人並みに摂らせてはもらえるものの、睡眠時間は滅茶苦茶でシャワーも使わせてもらえず、男所帯は日毎臭気を増す一方。「コイツらには風呂に入るって風習がないのか!?」と、呆れた記憶があります。

他にも臨時雇用のベテランアシスタント職人が出入りしたりと多数の人員が携わり、私にとっては嵐のような数日が過ぎ、ようやく描き上げられた原稿を持って編集者が去った後、数日ぶりにシャワーを借りて身を清めることができました。ところが私はまさかこんな長逗留になるとは思ってもいなかったので、体を拭くバスタオルも当然持って来てはいませんでした。越して来たてのマンションとは言えど先生もそんな日用品すら準備していないのですから、漫画家なんて何と杜撰なものかと思ったものです。

シャワーを浴びてやっとサッパリできたものの、持参のハンドタオルでは体は拭けずに困っていると、「これでも使え」と先輩アシスタントから投げて寄越されたのは、仕事中彼が首に巻きつけ、また今も彼自身の湯上がりに使用された、原形はスポーツタオルであったと思われる、蔓延したバイ菌が肉眼でも見えるかの地獄のようなボロ雑巾でした。
「漫画界は恐ろしや…恐ろしや…!ナンマンダブ…ナンマンダブ……」そう呟きつつ、私は息を止めながら、先輩から拝借した臭い雑巾で体の水分を何とか拭き取りました。

決して輝かしくはない私の漫画アシスタント生活の幕開けで、月給は9万円。
そう悪くはない月給とは言えど、睡眠時間も満足に与えられず連日過酷な生活を強いられ、私と同時期にアシスタント入りをした同僚が計算してみたところ、「時給150円」との答えが弾き出されたのを覚えています。

その前クビになった美容院でのバイト料が時給500円で、その当時の感覚でも安過ぎた額です。
ところが時給150円との計算上の答えではあっても、その反面一旦タコ部屋に閉じ込められたら、食費は丸々かかりませんし、自室に帰れなければその分光熱費もかからず、“シャバ”の空気が吸えるのは月にせいぜい3~4日。棲家のボロアパートの家賃はたったの1万1千円でしたから、仕事から解放されて数日間仮釈放の身となり、街に繰り出せば充分に贅沢な懐事情で遊べました。

吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」が当時の一大ヒット曲で、仕事部屋で流すラジオからは連日『オラこんな村いやだぁ~♪』としつこく流れていましたっけ。


ところが、当初は楚々と新人アシスタントとして君臨していたものの、若き日の私は次第にメキメキと頭角を現し正体を露見させてしまいました。

慣れてくるや大幅な遅刻は当たり前,先生から注意されれば敵意剥き出しで不貞腐れる,漫画アシスタントとしては当然の背景描きは逃げて覚えようとしない,仕事部屋のちょうど向かいの建物が何かの女子寮と判明するや、仕事そっちのけでチョッカイを出してベランダに物を投げ込んだりと悪戯に熱中する,〆切間際の緊張感張り詰めた鬼気迫るかの状況どこ吹く風で、“体力には自信がある”筈の私一人構わず本棚の陰で高イビキ,暇なら暇で深夜に火薬を詰めたモデルガンをぶっ放すわ…等々と、前代未聞の悪行三昧、馬鹿丸出し全開で、私は最低最悪アシスタントとしての地位を不動のものとしました。アシスタントとして以前に、人として失格だったとも言えましょう。
仕舞いには先生は心労が祟り、胃に穴が空き緊急入院…と、相変わらずの素行不良が功を奏して、たった半年後には、またしても私は見事クビの栄誉を賜りました。

当時は自室に電話もなく、面接時の連絡と同様に、入院療養中のK先生から一通の“クビ通達ハガキ”を頂戴したのが、翌年の春のこと。
私の後から入って来たチーフアシスタントの影響で、不規則な時間帯の仕事ゆえ北千住から高島平まで、どうしてもオートバイで通いたくなり、その為に免許を取ろうと足繁く教習所に通っている最中のことでありました。
『君の様なアウトロー的性質の者は、これ以上雇うことはできない』との文面を覚えています。

「ふざけやがってあのハゲ!ところで…アウトローって、何のこった!?」と年長の同僚アシスタント相手に怒り散らした私は、やはり途方もない大馬鹿者と申せましょう。どう考えても、ふざけていたのは私以外の何者でもありません。

意地で中型二輪の免許は取得したものの、失業でバイクを買う必要も金銭的余裕も一気になくなりました。
しかしそれならそれで、何とかなるさ、の暢気極まりない向こう見ずな年代でした。


この時知り合った、雑巾タオルと同僚を含む先輩アシスタント衆三人組は、その後二十歳代の私の人生に深く関わり、結果的には一人去り二人と疎遠になり、三人目とも歯車が狂い…と哀しくも次々と交友破綻を迎えることになるのですが、何故か今でも時々、彼等は私の脳裏に甦って来てしまいます。あれは今思い出しても滅多に巡り会えやしない強烈なキャラ達でした。
尤も、私も人様のことをとやかく批評はできないかもしれませんが…。

お金はなくとも、夢と希望と毛根だけは豊富だった、私の青春時代の一幕でした。


あれから時は流れ、夢はひとつ消え二つ捨て、毛は抜け落ちて金は貯まらず、あれよあれよと四半世紀…、今では“出版業界の恥垢”としてのポジションながらも、こうして漫画界にしがみついて、今も原稿描きに従事し〆切に追われる籠城生活。
新鮮な情報もないので、今回はふと昔話の断片を綴ってみました。

夢を熱く語り、将来に希望を托し、共に過ごしたものの今はとうに交遊なきアシスタント仲間三人衆は、漫画家として大成した者は一人もなし。
K先生に関しては、その後波乱万丈,紆余曲折の決してよからぬ風の噂を時折耳にしておりましたが、ここ最近たまたま見掛けた漫画誌で、たしか既に還暦の年齢に達せられながら、未だ現役で執筆されている作品を垣間見させて頂いた次第です。
反発して半年で去ったまま、それから四半世紀もの時を経て、結局私は漫画家として、K先生の足元にも及ばぬ身分です。


あの時、もしあのアルバイトニュース誌を見てなかったら、今頃…。
もし、呆気なくイラスト審査に落とされていたら…。
人生に“もしも”はありませんが、最近そんなことも考えてしまいます。

でもやっぱり、どこに行っても何をやっても、私のような戯け者はこの通りお馬鹿な人生だったでしょうが…。



北千住室内.jpg

これは私の北千住アパート内、貴重な当時の室内写真です。
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原稿の合間に落語をば…
相も変わらず怠け続けた揚げ句に、またしても原稿の〆切に脅える魔のレッドゾーン期間に突入してしまいました。

と言うのに、件の粋人編集者ミスターGよりお誘いを頂戴していたので、昨日は西武新宿線で小平駅まで足を運び、こっそり落語鑑賞をば…。

晴天の小平、会場前にてのG氏の記念ショットをご覧に入れましょう。


大ポスト.jpg



日々精力溢れ出んばかりのG氏ですが、その正体は実はこんなに小さく、可愛い妖精だったのです。

…じゃなくて、馬鹿でっかいポストと並んでの記念撮影。

運気上昇留まるところ知らずの霊験あらたかなるG氏のお姿ですから、この画像を拝んでおくと、きっと何かしらのご利益が得られるかと存じます。何しろ、この日の落語のチケットも、彼が抽選で射止めたそうなのですから。
そしてG氏が清い大人の交際(多分)を続けるご婦人をお誘いしたものの、生憎振られ、この私が同伴の栄誉を賜りまして、有り難く同行をさせて頂いた「林家正蔵独演会」、お陰様で存分に楽しませて頂きました。
落語にご興味のないお方でも、この前まで「林家こぶ平」としてご活躍だった、“昭和の爆笑王”林家三平の長男が、「林家正蔵」を襲名したことはご存知かと思います。その正蔵の独演会です。
G氏も私も、正蔵の落語は今回が初めての拝聴です。

大半ご高齢の客層の中、私の席の前方ブロック最後列の、左から5番目の席の妙齢のご婦人は、色っぽかったな~!
あんなお嬢さん相手に、落語を語ってみたいなー。煙たがられるだけかなー。何で私の周りには、落語好きの美脚婦人がいないかなぁー…、等とそんな高尚な思考も頭の片隅に、現代落語に次ぎコミカル怪談「お菊の皿」、仲入り後は名人彫物師甚五郎ものの「ねずみ」と、大看板を背負った意気込みと貫禄も感じられた正蔵の熱演を充分堪能し、結構なひと時でありました。

いや色っぽかった、左から5番目!
真ん中くらいの座席にもエッチそーな若い娘が……まぁいいや。


その晩は、G氏とホームタウン練馬の居酒屋にて、ちょっと一杯。
…のつもりが、“ちょっと”にはならない私の浅ましさで、生ビールに始まりホッピー、サワーと盃を重ね、G氏相手に見苦しい愚痴話から今後の展望と例によって支離滅裂に語り尽くし、毎度の如く酩酊に及び、結局夜半まで醜態を晒したのでありました。

さんざ呑み散らかし食い散らかし、無駄話に長々お付き合い頂いた上、勘定の段になるや、意識的に泥酔した馬鹿の振りをして、またしても編集氏の懐に甘えて全額奢って頂いている始末ですから、そんな腐った性根で、私もよくぞ長年この業界で生きながらえて来られたものです。
今更ながら不思議でなりません。

まったく、煩悩を溜めるだけで、常に邪念に心奪われてならない不埒な人生を歩む私に対し、“仕事は仕事!趣味は趣味!そしてお○ックスはおセッ○ス!!”…と行動の切り替えに無駄がなく、何事にも常に全身全霊を傾け人生を謳歌し邁進するG氏の潔い生き方を、私は少しでも見習わねばなりません。



深夜帰宅に及び、ぐっすり眠って、酒も抜けて我が身の現実を考えてみれば、遅くとも一昨日までには終わらせる筈だった下描きは、まだ半分地点…、明日までには何とかして、ペン入れを始め、バックのペン入れも、今回結構大変だな~、で…〆切日は…と考えりゃ、わ~際どい!!


先刻から薄々勘付いてはおりましたが、どうやら今の私は、日記更新作業に勤しんでる場合ではなかったようです。
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