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気まぐれ日誌
2010-04-20 03:03:13
以前の日記が、ぶっ飛んだので改めて貼らせてもらいます。
なんだろうね、何度も見てるはずなのに今も泣いてる
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133
2010-04-19 01:35:50
僕が今漫画家でいられるのは一枚の葉書からでした。
十七歳当時、「高二時代」って学習誌がありそこにイラスト投稿、採用され掲載。
個人情報保護の観念も無い時代で住所掲載。
それを見た漫画家志望の方から僕宛に一枚の葉書。その方が入会してた同人誌の会を
紹介され入会。
そこで知り合ったのが同じ歳で実力同レベルくらいの○○会長。
彼は高校卒業と同時に上京し漫画家のアシスタントとなり
突然変異のように飛躍的に漫画上達。やはりプロの元で修行せん事には
次のステージに登れないと実感。
焦りながらも上京資金を溜め込む為、夜勤日勤工員生活三年。
上京して師匠に鍛えられ妻と出会い子供を授かり今、細々ながらも漫画家生活続けてます。
振り返ってみれば漫画家に成れたのも家族を持てたのも運命を変えた
一枚の葉書から全てが始まったんです。
上京当時、自動販売機を前にコーラ買う事すら躊躇するほどの極貧生活だったけど
「夢満タン」はそれを苦痛とも悲惨とも感じさせません。今に見ていろ!!が発酵し続けます。
仕事に対する執着心が育ちます。劣悪な環境を嘆く事はない、
上を向いてる限りチャンスに転嫁できるエネルギーを蓄積してるんだと。
2010-03-10 10:04:43
只今全国のコンビニで鶴永いくおさんと僕の
共同特集本が発売中です。六日から発売だったらしく
コンビニで置いてくれる期間もあと僅かです。
双葉社発行「男と女の事件ファイル人妻☆魅☆シュラン」
価格は四百円、ぜひぜひお買い求めください。この売り上げ
次第で五月にも特集本がでる予定らしいです。
よろしくお願いします。
http://www.dmm.com/mono/book/-/detail/=/cid=bkt07237870/
http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0110951085
2010-03-06 21:02:44
もうデビューして二十六年・・・順風満帆な作家生活では
なかった。才能がさほど有る訳でもなく漫画界を低空飛行で
やっとやっと飛んでる感。それでもこの先、死ぬまで
この調子で飛び続けていられたら幸せです。
下手なりに子供の頃から絵を描く事が好きですから。
振り返って見ると漫画の到達点って幻なんだと気づかされます。
若かりし頃、当時の僕は完璧な絵が描けてる、仕事依頼も断るほど来てる
・・・思い上がってました。これが僕の到達点なんだと。今、当時の
作品を見ると赤面、失笑、底辺です。
漫画って永久に到達点が先に先に動く代物だと思う。気に入った
絵が描けてもそれは成長過程の絵なんだと。
それに(ああすれば良かった)が有るから仕事は面白い
近況=ここ二日ほど徹夜、只今虚脱中、マッタリしたい所を
月曜締め切りの6ページ物が背中を押します。
2010-01-24 05:51:52
僕が生まれたのは福岡の飯塚です。炭鉱で働いてた父が炭鉱閉山と供に家族で引っ越した
先が明石でした。
昨年亡くなったその父の納骨の為、四十数年ぶりに
九州の地を踏みました。小学校だけは辛うじて
覚えてたものの後は欠片も思い出せない。
当時あぜ道には馬糞が落ちてて、それを踏むと足が速くなる
なんて言い伝えがあり友達と競って踏みあったものです。
扇風機も無い夏、半ズボン、崖のへびイチゴ、平屋作りな炭鉱社宅、防空壕・・・
ノスタルジーも街を覆うアスファルトに封印された感。
先祖が祭ってあるお寺は静かなところに有りました。
住職の経典が始まってから終わるまで母は泣きっ放し
でした。今まで傍にあった遺骨と最後の別れ・・・
若い頃父と出会ってから今までの思い出が押し寄せたんだと思います。
こんなに泣く母を今まで見たことがなく二人して経典の響く本堂で嗚咽でした。
夫婦は共通に積み重ねた思い出が多い分、その思い出を一人で抱える寂しさに涙するのでしょう・・・。