練馬から消えた灯
2011-02-02 20:29:34 (13 years ago)
この練馬の地に移住をしてから、私にとっては憩いの場であった小さなスナック「ぶんぶん」が、惜しまれつつも諸事情により先月を以て、二十余年にも及ぶ歴史に幕を閉じました。
平成元年に開店したとの、昭和の香り漂うそのノスタルジックな空間は、少なくとも練馬の繁華街では残念ながら他に代わる店を私は知りません。
きわめて気の弱い私は、その感慨深い最終営業日に顔を出すことは敢えて避けて、前夜にこっそりと立ち寄り、僭越ながら心ばかりの記念品としてフレームに収めた拙画をママに進呈し、最後のボトルからバーボンソーダを軽く呑んで、そそくさと去り銭湯に向かったのでありました。
しかし翌日、最終日の夜には案の定…常連の呑み友達連中から連絡があり、気の弱いことこの上ない私は強引なるお誘いを拒むことなどできずに、結局足を運んでしまったのでありました。
何しろ、開店から二十年以上もの歴史を誇る店ですから、10時半頃に私がドアを開けた店内では、それはもう長年に渡る常連衆はもちろん、かつての歴代名物ホステスお姐さまから、ママの娘さんやら、何故か近くの焼鳥屋から引っ張り込まれたとの一見の酔っ払いオヤジと、宴も酣でシッチャカメッチャカの大賑わい。
私がこのスナックに一番通いつめていた頃の、伝説のホステス“練馬のフェロモン”早苗ちゃんにも、私はたしか3年ぶりにお目にかかれて感慨無量。
恵比寿様のようなママの神々しいご尊顔はそのままご紹介させて頂きまして、右がKちゃん,左が幻の悩殺姫、早苗ちゃんであります。
ちなみに、ママがやむなく閉店に踏み切ったのは、客足が途絶え採算か取れなくなったから…ではなく、ご主人の体調の問題。
ご病気をされて幸い回復なさったものの、今後はご主人の面倒を見なければならなくなり、そういった事情で、毎日店を開けるのが困難になったからだそうであります。
午前0時も回るや赤ら顔の常連さんは一人また一人と去り、ママは感極まり、堪えていた涙腺も緩み放題、号泣放題。
…だから最終日はイヤだったのよ。だって私は気が弱い上に、涙腺も弱いんだからっ。
「ジャイアント・ロボ」の最終回で、ボロボロ泣いちゃった私なのですから。
実に平成元年の開店当時からの馴染みであったとの、今や練馬の親分、Kちゃんも、それは人一倍義理人情に厚い男ですから、私ごときには計り知れない深い思いであったでしょう。
関西出身のKちゃんにとって、この店のママは彼がまだ二十代の頃からの“東京のおっ母さん”でしたから。
ママと元ホステス姐さんに見送られ、明日からはもう再び灯ることのない「ぶんぶん」の看板から立ち去り、胸の詰まる湿っぽい気分を替えようと、Kちゃんと共にC姐さんのいる別のスナックへ。
C姐さんの胸元に指をツンツンしては「オッパイ吸わせぇやボケ!!」だのと威勢よく騒いでおりましたが、それもKちゃんのナイーブな一面の裏返しでありましょう。終始彼の目は潤んでおりました。
私も、いつもと違って妙に酔えない夜でありました。
何故ならば、この一週間呑みに呑みまくって、身分不相応なとんだ額をアルコール代に撒いてしまって、さすがに自己嫌悪に陥ってしまっていたからであります。
今月はノンアルコールで一心不乱に働きます。多分。
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